記念日が開発のきっかけに

記念日が開発のきっかけに

ふくや創業者生誕100年記念プロジェクト

 

 

 

2013年1月、ふくやの創業者・川原俊夫の生誕100年を迎えたことを記念して、これまでになかった新しい明太子をつくろうと、商品開発プロジェクトがスタートしました。

辛皇 ホットエンペラー その名にふさわしい、辛さ13.5倍

 
ホットエンペラー。ふくやの通常明太子の13.5倍の辛さ
ホットエンペラー。ふくやの通常明太子の13.5倍の辛さ
 

明太子を引き立てているのは、ピリッとした辛さの唐辛子だが、その唐辛子へのこだわりをとことん突き詰めた明太子をつくろうと、プロジェクトが開発したのが、この「辛皇」です。さまざまなスパイスの中から7種類を調合しました。口に入れた瞬間、カッと体が熱くなり、辛みの余韻が続いて、またほしくなる。これまでにない風味と辛みをもつ明太子と完成しました。 発売に際しては、「ペッパー娘キャラバン隊」を組織。5週間にわたって、週末ごとに福岡市内の主要な繁華街の飲食店を回り、食事を楽しんでいる若い人を中心に延べ3000人に試食してもらい、辛さを実感していただきました。揃いの赤いコスチュームに、ヘタのついた唐辛子の帽子をかぶって街を歩くキャラバン隊が功を奏してか、売行きも好調。ツイッターやフェイスグック等のSNSでも話題なりました。 近年2018年では、テレビ放送「マツコ&有吉 かりそめ天国」で「福岡空港 明太子を辛い順に並べる」という内容で25種類中の1位を「辛皇(ホットエンペラー)」が獲得しました。

 

 

百代の過客 水飴を使う手法でまろやかな味に

百代の過客 ふくやの明太子

「百代の過客」は「はくたいのかかく」と読みます。松尾芭蕉の「奥の細道」のなかの一節、「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり」に因むネーミングです。「月日は永遠に旅をつづける旅人のようなもの」という意味ですが、俊夫以来の明太子づくりを伝承するふくやも「美味しさを追求しつづける旅人」。ふくやの歴史を重ねた商品名でもあります。約2年をかけて開発された「百代の過客」は、原卵、塩等の調味料の徹底的にこだわった明太子として開発しました。10月~翌年1月までの産卵シーズンで、刺し網漁(日網漁)の網を仕掛けてから24時間以内に水揚げしたスケトウダラを、水揚げ後、すぐ腹出しして雑味のない真子を取り出します。成熟卵に近い真子は、非常に皮が薄く、きめ細かな粒子がぎっしり詰まっている最高級品です。この真子を原料に、沖縄の職人がつくった天日塩、味をまろやかにする粉末水飴を使って塩蔵加工した原料たらこをつくりました。これを、辛さだけでなく、ほのかな甘み、丸みを出す目的でブレンドした唐辛子、鰹だし等をブレンドした調味液に漬け込んだのが「百代の過客」で、ふくや自信作の一つとなっています。

 

 

60周年記念、発売当時にを再現した明太子を完成

ふくや明太子

「復刻」は2003年、グループ会社の株式会社スリーエフコーポレーションの社長から「たらこに加工する前の一番いい生の原卵を準備するから、最高の明太子をつくってみないか」と提案されたことから始まりました。さらに当時の正孝社長からも「味つけもすべて昔の明太子にして みてはどうか」と背中を押され、「復刻」に挑戦することになりました。

昭和のふくやの写真。ふくやの包装紙に包まれた明太子が高く積み上げられていました。その頃の味を再現しました。

昭和のふくやの写真。ふくやの包装紙に包まれた明太子が高く積み上げられていました。その頃の味を再現しました。

「復刻」の原料は、北海道産。北海道のたらこメーカーが「卵が生きている状態 で塩蔵できる」と胸を張るほどの鮮度の良さ。これを 「たらこ」にすると、口のなかに入れたときの粒立ち感 は冷凍ものとは比べられないほど素晴らしく、調味液の染み込み具合は抜群でした。
創業者 川原俊夫がつくっていた30年ほど前のたらこの塩分濃度 は13パーセント以上。すいぶん塩辛かったと思います。現代は減塩志向が定着しているので塩たらこの濃度は約6パーセントとしました。これでも現在の「味の明太子」より濃度は高め。しかし高めの濃度にしたほうが「昔の明太子に近い」という反応が返ってきました。
「昔の明太子は香りが良くて風味があった」と言われることがあります。しかし、唐辛子のブレンドしている種類や加工方法は昔と全く同じです。違いがあるとすれば、唐辛子の製造法と殺菌工程の有無。そこであえて熱殺菌をやめ、風味の再現に成功した。「復刻」の賞味期間が味の明太子よりも短いのは、熱殺菌を外したためです。

昔の味付け 復刻明太子
昔の味付け 復刻明太子

「復刻」は、調味液の配合比率も俊夫の時代と全く同じです。辛味や旨味が異なる5種類の試作品を用意し、社内で食べ比べをして、俊夫時代の明太子を食べていた人はすでに高齢であることから、最終的には「高齢者が好む味でいこう」と決定しました。
最高の明太子をつくってみないかと提案を受けてから「復刻」の完成までほぼ2年。「復刻」を完成させた担当者は、「完成するまでほぼ毎日、試行錯誤しながら味のことばかり考えて過ごしました。俊夫社長は明太子の理想の味の完成に、10年近い歳月をかけられた。目的を達成するまであきらめなかったその信念に、ただただ敬服するばかりです」と頭を下げていました。
「復刻」は、昔のふくやの味に限りなく近い明太子として完成しました。2006年発売以来、根強い固定ファンがついています。

 

 

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